2018年はバレットジャーナルという手書きの手帳術がブームとなりました。
日本国内でも『バレットジャーナル』というワードはよく目にするようになり、関連書籍も出版されるようになりました。
私も2016年にバレットジャーナルに出会ってから、フォーマットを手書きする手帳の運用をしています。
今回は、今まで市販の手帳を使ってきた私が、なぜバレットジャーナルを始めたのか?ということをお話ししたいと思います。その1回目ということで、手帳ジプシーだったころについてのお話です。
手帳ジプシーになる前は1年に1冊を使い続けていた
1冊使いで満足していた学生時代
幼少期から母が手帳を使う姿を見て育った私は「手帳=大人が持つもの」という憧れを抱きながら育ち、10歳のころに念願のマイ手帳を持つようになってからはほぼ毎年手帳を使い続けています。
社会人になるまでは毎年これと決めた一冊の手帳を一年間の相棒としていました。
毎年9月に入ると、手帳売り場に新しい手帳がならんでいるのを見るだけでわくわくしますし、手帳たちから「来年は自分と一緒に楽しい1年を過ごそう!」と呼びかけられているような気さえもします。笑
しかし近年はフォーマットやコンセプトが凝った手帳がどんどん出てくるんですよね。
大学卒業前にほぼ日手帳を1冊使いしていた私は、ほぼ日手帳を使うことに満足していながらも、心の中では「ほかの手帳も使ってみたい」という気持ちがどんどん大きくなっていくばかりでした。
大学卒業前に手帳を複数使いに変更
そもそもなぜ、ほぼ日手帳だけでなく他の手帳も使いたいと思ったのか?
大まかに、以下の理由からでした。
もともと「手帳は1年に1冊使うもの」と思い続けてきたこともあり、ほぼ日手帳のデイリーページに絵日記的な書き方をしようとすると、予定管理ができるのはマンスリーのみ。
バイトのシフトに、講義の予定に、遊びの予定…とてもじゃないけどほぼ日手帳のマンスリーの枠内には収まりませんでした。
それなのに毎日持ち歩くと思うと重いんですよね。笑
未来日のまっさらなページ=不要なページというとらえ方をしていたこともあり、いらないページが多い!と地味にストレスを感じていました。(きっと1日1ページ手帳の宿命です…。)
複数冊使いをしようと思った極めつけはスマホの普及。
ちょうど私が大学在学中に一気にスマホが普及し、今までPCに向かわなければ見れなかったSNSからどんどん手帳ユーザーの楽しそうな使用例が飛び込んできたのでした。
そこで「手帳は1年に何冊使ってもいい(むしろ複数冊使ったほうが楽しみも増える)」という諸先輩方からの後押しもあり、2012年頃から手帳の複数使いをスタートしました。
社会人になってからは手帳ジプシーの道まっしぐら
たくさんの手帳を並行して使えることがとにかく楽しかった
めでたく「手帳は1年1冊」の縛りから解放された私は、ほぼ日手帳を日記専用に。
予定管理用手帳は、一般的なレフト式の手帳にしたり、バーチカルに手を出してみたりと徐々に変えていきましたが、基本的にほぼ日手帳+予定管理用手帳の2冊使いでした。
そしてさらに、フォーマットの違いだけでなくA5サイズやポケットサイズなど、様々なものに手を出していきました。
どの手帳も手に取った最初のころはワクワクするんですよね!
手帳を選ぶ時間は未来の自分の姿を想像する時間でもあります。
新たな手帳を手にすると「この手帳を使ったらもっとプライベートが充実する!」とか「仕事をバリバリこなせる!」とか。
SNSで楽しそうな手帳ライフを送っている方々の投稿を見るたびに「私もこんな風にキラキラした生活を送りたい」と憧れ、同じ手帳に手を出す。
使い方をマネしてみる。
同じ内容の予定やログを、複数の手帳に書いて比較してみる。
そんなことを繰り返していると、使う手帳の数も際限がありません。
そして現実に直面しました。
2016年、気づけばいつのまにか手元の手帳が15冊を超えていたのです…。
15冊の手帳を使って自分の生活は豊かになったか?
手帳が15冊。一体何ページあるのでしょうか。
何をそんなに書くことがあるのでしょうか。
世の中にはもっとたくさんの数の手帳を使いこなしている方もいらっしゃいますが、少なくとも私は使いこなせませんでした。
以下は、たくさんの手帳を使ってみての私なりの感想です。
全部持ち歩くと重い
当然のことながら、外出のたびに15冊の手帳を持ち歩くことは現実的ではありません。
持ち歩けてもせいぜい3冊でした。
たくさんの紙を持ち歩くのは肩に負担がかかるもので、残念ながら重度の肩こりを併発しました。
目的の手帳が手元にないからかけないというフラストレーションがたまった
たくさんの手帳を持つ理由は、同じ内容のスケジュールを何度も別の手帳に転記するためではありません。
それぞれの手帳に役割を持たせるためです。
しかし出先で書きたい内容があるのに、それを書くための手帳が自宅に置いたままだとその場で記入することができません。
帰宅する頃には「その時に書きたかったこと」さえ忘れてしまっていることが多々ありました。
あの時の私は何を書きたかったのでしょう…。
フォーマット特化型の手帳は、継続的な販売の保証がないことが不安に
使用している手帳の中には、個人の方が作成している手帳もありました。
しかし試験的に作られたものも多く、翌年からは販売されないというものもありました。
すべての手帳のすべてのページを使用するわけではない
たくさんの手帳はそれぞれフォーマットに特徴があったり、紙質が異なったりとそれぞれ特化したものがあります。
しかし、すべての月間カレンダーのページを使用しているか?と聞かれると、答えは「ノー」です。
多くても2つほどでしょうか。
残りの手帳のマンスリーページはきれいな空白のまま一年を過ごします。
使用しないページ(私にとって不要なページ)が仮に10冊あったら、単純計算で12か月×10冊=120ページ分がすでに不要なページとなってしまいます。
なんだかもったいなく感じました。
たくさんの手帳は、時に「時間泥棒」となる
これもまた使用する手帳が増えていけばいくほど大変なことだったのですが、「すべての手帳を常に運用させなければいけない」という思い込みが私の中でありました。
使用頻度の低い手帳はもはや使用しなくなったものと同じ扱いとなってしまい、それがまたもったいないと感じ、ストレスとなっていました。
それで起床してから書く手帳、職場で開く手帳、ライフログを残す手帳など様々な役割を持たせていつも多くの手帳を開こうと意識していました。
そして気づきました。
私はいつのまにか、『生活を豊かにするために』手帳を使っているはずが、常に記入することに追われて、手帳に『生活を豊かにする』時間を奪われていたのです。
おかしな話ではありますが、当時のライフログ用手帳には「手帳タイム」という時間がとても多く残されていました。
適度な手帳タイムは生活改善のために欠かせませんが、半日以上手帳に書くことしかしていないその日は、結局のところ「日々書けなかったことをまとめて書くだけの日」となってしまったのです。
過去の記録を追っかけで書くことに精いっぱいで、未来の自分に充てるための時間を割いていたのですね。
その時間を記録していたことでこの記事が書けているのも皮肉な話ではありますが。苦笑
脱・手帳ジプシーなりたいタイミングで「バレットジャーナル」に出会った
手帳に生活の時間を奪われる。
そんな本末転倒な状態に頭を悩ませていた、重度の手帳ジプシーだった私と『バレットジャーナル』の出会いは、2016年の秋でした。
このタイミングでバレットジャーナルを知ることができ、運命的なものを感じました。笑
バレットジャーナルとの出会いについてはこちらの記事をご参照ください。
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